
(新社《灰心》文版的封面。本收行本集《灰心》、《百》作品略作修改,加收行本未收作品,以文本形式於平成二十五年(2013)出版。柴田(1911-2013)未受正的文作,能用短易懂的句刻生活,暖的情感、的精神深邃的智慧,人希望。著名女人新川和江(1929-)指出「年九十仍具之清新的感性,在的世界也罕」,予高度。若一人的生命走向尾,如日暮西下逐黯淡失色;柴田反倒在晚年的最段,藉其如朝般熠熠生)
【作者介】

柴田(1911-2013),平成後期的人。木人。八十一丈夫世,之後一人居。排遣寂寞,在生子建下,九十二始,向日《新》的「早晨之」投稿,接被刊。平成二十二年(2010),以高九十九「出道」,出版集《灰心》。用平淡,情感,又不乏、暖,受者喜,不到一年售出一百五十。隔年,出版第二部也是生前最後一部集《百》。
[溶化]
倒出的
水
宛如一串
柔的
我心中的>
方糖
正在杯子
愉快地
溶化
[溶けてゆく]
ポットから
注がれる
おは
やさしい
言のようだ
私の
心の角砂糖は
カップのなかで
持ちよく
溶けてゆく
[回答]
在我耳畔
嗲嗲
惑我
「是候了
差不多去
那世界」
完 我
立即回答
「我在
要再待一
有些事
做完」
一尬
咻的一回去了
[返事]
が 耳元で
「もうそろそろ
あの世に
行きましょう」
なんて 猫で声で
うのよ
だから 私
すぐに返事したの
「あと少し
こっちに居るわ
やり残した
事があるから」
は
困ったをして
すっとって行った
[生]
拜不要
叫我
老奶奶
p>
也不要
「今天星期?」
「九加九是多少?」
之的笨
「柴田女士
你喜
西八十的?
你得
小泉如何?」
如果是的
我很心喔
[先生に]
私を
おばあちゃん と
呼ばないで
「今日は何曜日?」
「9+9はつ?」
そんな バカなも
しないでほしい
「柴田さん
西条八十のは
好きですか?
小泉内を
どう思います?」
こんななら
うれしいわ
[我寂寞]
我寂寞的候
就用手捧起
射的
光
一次又一次
把它抹到上
那暖暖的感
正如的暖
「
我加油」
我自言自
站了起
[さびしくなったら]
さびしくなった
の隙から
入る射しを
手にすくって
何度もに
あててみるの
そのぬくもりは
母のぬくもり
おっかさん
がんばるからね
きながら
私は立ちあがる
[、光我]
敲了敲玻璃窗
我窗他
然後
光也跟
三人 始聊
「老奶奶
一人不寂寞?」
和光我
「人 到究是一人啊」
我回答
「不必真
日子就好」
午後
大家相而笑
[と射しと私]
が
硝子を叩くので
中に入れてあげた
そしたら
射しまで入って来て
三人で おしゃべり
おばあちゃん
独りで寂しくないかい?
と射しがくから
人 所は独りよ
私は答えた
がんばらずに
にいくのがいいね
みんなで笑いあった
昼下がり
[灰心]
喂 不要唉
自己不幸
光和微
不任何人偏心
每人
都能平等地做喔
我 曾
痛苦的事
但是活著真好
你也灰心
[くじけないで]
ねえ 不幸だなんて
溜息をつかないで
射しやそよは
えこひいきしない
は
平等にられるのよ
私 辛いことが
あったけれど
生きていてよかった
あなたもくじけずに
[蓄]
我啊 只要得到
他人的善意
就把它存心
寂寞的候
再提出
就能振作起
你 也在始
存一存吧
它比年金
好用
[金]
私ね 人から
やさしさをったら
心に金をしておくの
さびしくなったは
それを引き出して
元になる
あなたも 今から
んでおきなさい
年金より
いいわよ
[化]
子小
曾心地告我
「朋友
你好漂亮」
那之後
我是用心化
如今
九十七了
仍然用心化
仍然希望
有人我漂亮
[化]
が小学生の
お前の母ちゃん
きれいだなって
友に言われたと
うれしそうに
言ったことがあった
それから丹念に
九十七の今も
おつくりをしている
かに
ほめられたくて
[扇]
不敲一敲
改方向
就法的扇
卡卡
出痛苦的音
定了 明天
就去台新的
四十年
你 我送上
你要好好休息喔
[扇]
向きをえて
叩かないと
まわり出さない扇
カタカタ
苦しそうな音
思いきって 明日
いかえることにした
四十年
やさしいを ありがとう
ゆっくり休んでね
[黎明到]
自定
一人生活
我就成的女性 不 我明白
能坦然接受
多人我伸出的援手
也是勇
「我真不幸……」
唉的你
黎明
一定到的
朝
也照射在你身上喔
[朝はくる]
一人で生きていく
と めたから
い女性になったの
でも 大の人が
手をさしのべてくれた
素直に甘えることも
勇だと わかったわ
(私は不幸せ……)
溜息をついている方
朝はかならず
やってくる
朝も
射してくるよ
[只需小](一)
社上
有多案件
仍未破
神探可坡
名刑警古任三郎
人手合作
定能犯人
捕案
只需小
[二あれば]
世には
まだ解されていない
たくさんの事件がある
コロンボ警部
古任三郎警部
二人が力してくれたら
犯人をきっと
つかまえてくれる
二あれば
[蟋蟀]
深夜 坐暖桌
始
「其 我」
才了一行
水就流了下
某
蟋蟀正在叫
「我不跟哭泣的人玩」
唧唧地叫著
蟋蟀君
明天再吧
明天我著笑容
等著你喔
[こおろぎ]
深夜 コタツに入って
をき始めた
私 ほんとうは
と 一行いて
があふれた
何かで
こおろぎがいている
泣く人んであげない
コロコロいている
こおろぎコロスケ
明日もおいでね
明日は笑で
待ってるよ
[密]
我啊 也有
好次
想死的念
不 始後
受到很多人鼓
在
不再了
p class="MsoNormal" style="text-align: justify; text-justify: inter-ideograph;">
即使九十八了
也要
要做
要乘翱翔
[秘密]
私ね 死にたいって
思ったことが
何度もあったの
でも を作り始めて
多くの人に励まされ
今はもう
泣きごとは言わない
九十八でも
恋はするのよ
だってみるの
にだってりたいわ
/p>
[盛行]
在世界的某
在 正生
在日本的某
正生霸凌
是不是
叫做和善的流感
盛行呢
症
要是蔓延起就好了
[流行]
世界の何かで
今も 争が起こっている
日本の何かで
いじめも起きている
やさしさの
インフルエンザが
流行しないかしら
思いやりの症状が
まんえんすればいい
[]
翻看了一下
我的人生面
全部
褪色了
但每一
都有努力活的痕
也有面
想撕
可在回想起
全都 令人念
再一就一百了
我期待
是亮的一
[]
私の人生のを
めくってみると
みんな色あせて
いるけれど
それぞれの
命に生きてきたのよ
破きたくなった
もあったわ
でも今ふりかえると
みんな なつかしい
あと一と少しで百
やかな色が
待ってるかしら
[]
比起跑在前的
我反倒喜
落在大家後面
等一
就快地 拼命地
全力刺的
「加油」
「加油喔」
我著叫喊
管一始殿後
只要肯努力就能得第一
即使是你
一定也能到
[]
先に走っているより
みんなの後に居て
ここぞという
を切って 必死に
追いんでくる
が好き
がんばれ
がんばるのよ
私はテレビに叫ぶ
始めはビリでも
やれば一番になれる
方だって
きっと出来るわ
[包]
每次
一到新年
我想起
小的子
了豆
我一
大大的 包
「是的 新年物喔」
要 送我
他僵的小手
口中呼出的白
有的笑
我 始忘不了
至今
包 仍是我的物
面存住
但至今
仍著 多情
[がまぐち]
年
お正月が来ると
思い出すの
当 小学生だったが
豆りをして
ってくれた
大きな がまぐち
母ちゃんへ 御年玉だよ
って 私にってくれたの
かじかんだ小さな手
吐く息の白さ
けるような笑
私は 忘れない
がまぐちは
今でも 私の宝物
お金はまらなかったけれど
やさしさは
今でも たくさん入っている
[受教]
受教於
忍耐
受教於老伴
受教於子
大家 了我
多助
如今
到了生命的尾
人情
受教於震(二)
活著 真好
[教わる]
母にい物を
教わりました
れあいには辛抱を
教わりました
はをくことを
教えてくれました
みんな 私には
役立ちました
そして今
人生のわりに
人のやさしさを
震で教わったのです
生きていて よかった
[犯]
在 你
在做的事情
你家人得知後
怎想呢
你
是小孩
有暖的心
也能
的低
不要
欺弱小
用你的智慧
做好事
[振りめ欺犯さんに]
今 あなたの
している事を知ったら
あなたの家族は
どう思うかしら
子どもの
あなたには
やさしい心があった
のきも
こえたよ
弱い人たちを
苦しめないで
その知を
良い事に使ってください
[]
一朵小的白
在大的白後面 追著
「可跟喔」
我 出提醒
於是大的
停下等小的
朵排著 向方
不
到景象 一整天
都得幸福
那朵 一定
永 在一起吧
[]
大きな白いの後を
小さな白いが 追いかけて行く
はぐれちゃ ダメヨ
私 声をかけたの
そしたら大きなは
待っていてくれて
二つんで 彼方に
消えて行った
それをて 一日
幸せだった
あの二つの きっと
いつまでも 一よね
一:(注)神探可坡、名刑警古任三郎部,每集在日本的播出皆小。在短短小,可坡和古任三郎能俐落破案。末句故作「只需小」,令者心一笑。
二:(注)作者集中出的「震」一,指平成二十三年(2011)三月十一日生的日本大地震。
自:柴田トヨ,《くじけないで 文版》(京:新社,2013),26、27、32-35、54-59、64、65、72、73、78、79、86-89、92、93、98、99、118、119、128、129、134、135、144-146、156、157、160、161、212、213。
片源:http://poetsohya.blog81.fc2.com/blog-entry-1260.html
文章定位: