
(福磐城市草野心平念文附的草野天平(1910-1952)碑。磐城市人草野天平的故,天平小候在此度五年光。平成十四年(2002),地文化「波之」其在二哥心平(1903-1988)的念文立碑。碑上刻的是表露自身孤心境的作〈一人〉:「四周有人/我放下/出去看山/山是山」)
【作者介】
草野天平(1910-1952),昭和前期的人。京都人。大哥草野民平(1899-1916)二哥草野心平(1903-1988)皆人。幼搬回祖籍地福,在此生活五年,大正九年(1920)上京。三十二始,表充禁欲求道精神的作品,昭和二十二年(1947)出版集《一路》。昭和二十五年(1950)入比山的佛寺心作,未及二年即因肺核病逝。後出版的《定本草野天平集》第二回高村光太郎。
[秋]
哦
是秋天了吧
人寺的院
散落著杏的子
[秋]
さうか
これが秋なのか
だれもゐない寺の庭に
杏のは散つてゐる
[昏]
看著落徐徐沉入池中
一水泡浮出水面
就消失了
[夕暮]
落の沈んでゐる池をてゐたらば
泡が一つ浮いてきて
消えていつた
[漫步武藏野]
路延不
我走著走著
停在小上
拾起石扔下
又往前行
紫玉下
芳香
方著朵
路延不
[武野をいて]
路はいてゐる
私はいてゐる
小の上へとまり
ぽとんと石をおとす
そしてまたきはじめる
木の下を通れば
にほひがして
くには浮いてゐる
路はいてゐる
[居]
小丘上
吃著草
垂得低低的
而尾巴
的朵
停在天空的正中央
我起身
踏上的小路
[独り田に住つて]
小高い丘に
は草をたべてゐた
くびは垂れて
ときに尾をふつてゐた
まるいはひとりとまつて
空のなかほどにあつた
私はしづかに腰をあげて
もときた径をつてきた
[一人]
四周有人
我放下
出去看山
山是山
[一人]
てももゐない
本を伏せる
家を出て山をれば
山はやはり山
[宇宙中的一]
人死去
再重生
然後工作
死去
自己不久後也死吧
不用
也不必勉
只要孤零零一人
待在就好
[宇宙の中の一つの点]
人は死んでゆく
また生れ
またいて
死んでゆく
やがて自分も死ぬだらう
何も悲しむことはない
力むこともない
ただ此に
ぽつんとゐればいいのだ
[梅雨]
雨滴屋瓦落下
蜘蛛不停晃
孤零又
耳
秧田上捆秧苗的人
交的
[梅雨]
の瓦からがおちて
蜘蛛のはゆれて
ものさびしい
苗代からは
苗をたばねる人たちの
もきこえる
[正午]
不知名的海
少月草著花
海水青
四一片平坦
不任何
沙土乾得成
月草立
有船
也不朵
[真昼]
名も知れない浜に
少しばかり月草がいてゐた
海は青く
どこまでも平かで
全く音もなく
砂は乾き定まり
月草はれもしない
舟もないし
もない
[秋日傍晚]
芒草四蔓生
月亮大大在白天露面
不影
稍
了的叫
像是孤零零躲在暗
一叫
然後息
[秋の夕方]
ところどころに芒があり
昼の月もでてゐる
姿はみえないが
すこしれたところから
虫の音がする
さみしく忍ぶやうに
一つ二つして
しなくなる
[初夏的白]
如一般
看得海面的
草山小上
放著一朵花
彷捎些消息
拂身旁
[初夏の日なか]
一すぢの糸のやうに
海のえる
草やまの小径のところに
いちりんのはいてゐて
浅くしれぬやうに
はかよつてゐた
自:草野天平,《定本草野天平全集》(京:生房,1969),18、19、24、33-36、38、51、54。
片源:http://jin0506.s28.xrea.com/yz10310wer.html
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