15 上高地
上高地は高1500メトルの地点にあり、かつて「神河内」とか「神合地」とか「神降地」とかかれた。イギリスの宣教ウォルタ·ウェストンが来日し、上高地から高に登り、著「日本アルプス登山と探」で、日本の山を世界に介した。彼は日本に近代登山も入した。今でもウェストンをんで、年6月に上高地にある石碑の前で、演会やコラスなどが催されている。
上高地へは野の松本からで30分、新々で下、ここからバスで上高地バスタミナルまで115分。マイカで行く合は、夏休みやのは交通制があるため、上高地までマイカでり入れることが出来ないので、松本から国道158号を走り、渡でをあずけ、バスかタクシにりえて、上高地ビジタセンタまで行く。山岳道路の道幅はだんだん狭くなり、途中「釜トンネル」では、片通行をしているので、40分以上待たされることがある。そのまどから外に目をやると、道のすぐを流れている川は、硫黄で黄色くなった岩をなでるように流れていく。その川の上をの枝を覆いかぶさっている。
上高地にはいくつか有名なところがあるが、中でも梓川に架かっている木のつり「河童」からえるすばらしい山の景色は印象深い。岳(2455m)や高峰—西高岳(2909m)、前高岳(3090m)、奥高岳(3190m)、北高岳(3106m)—が目の前の迫ってくる。くにのように尖っているが岳(3180m)がそびえている。アルピニストたちは、この雄大な山々と、麓を流れる梓川の清流の魅力に引きつけられて上高地から山に登る。1924年、エベレスト(チョモランマ)登山には成功しなかったイギリスのマロリ卿が、「どうして山に登るのか」と言うにして、「山がそこにあるから登るのだ」と答えたとおり、アルピニストたちは、日本アルプスの山々に登る。
「大正池」は大正4年(1915年)岳の大火のため梓川がせき止められて出来た池で、火のときの枯れたカラマツや白の木が水面から突き出ていて、朝もやに包まれると、神秘的なムドに覆われる。晴れた日には、高峰が池の水面に映し出されて美しい。
梓川のほとりをいていると、珍しいケショ柳がられる。この柳の木は寒さがしい地方で、水があって枯れた土地にしか育たない。四季折々にの色がわり、冬には赤くなった枝にがつく。真白い雪の山を背景に、赤いクリスタルのが、日の光に照らされて、キラキラく。ケショ柳といわれる理由は、若い柳の木の枝だけ白粉で化したようになるからである。
新な山の空を胸いっぱい吸いながら、さらに砂利道を2ぐらいくと、キャンプに着く。夏には赤や青やオレンジ色のテントでは花のようになる。早朝、前高岳に日が差すと、キャンパたちは起き、が切れてしまいそうな冷たい水でを洗い、朝食を作る。それから各自の一日の行を始める。
上高地帝国ホテルは山だけリゾトホテルとして有名である。4月下旬から11月上旬までしていて、2万9000ぐらいから3万5000ぐらいで泊まれる。ホテルラウンジ「グリンデルワルト」でコヒをんで、一休みをする。スイスを思わせる山と赤い屋根は、まわりのの木々とよく合っていて、まるでにかいたようだ。外は、音と言う音が森の吸いまれてしまったように静かだ。この静寂の中に何までも居られたらと思う。
上高地が人があるのは、アルプス登山の出点としてだけではなく、多くの人が都会かられ、このすばらしい自然を味わい、感し、また来たいと望するからである。上高地というところは、人の心をとらえて放さないところである。
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第15 上高地
上高地是高1500公尺的地,以前被作「神河」或是「神合地」或是「神降地」。英的教士特威斯到日本,上高地往穗高爬山,在著作「日本阿卑斯山登山冒」,向世界介日本的山。他近代登山也引到了日本。到至今了追思威斯,每年6月在上高地的某石碑前,辨演或是合唱等活。
往上高地是野的松本坐30分,在新站下,那坐公到上高地公站是1小15分。自行去的情是,因暑假或是季有交通管制,到上高地止是不行入的,所以松本始,行走158,在渡停寄放,搭公或是程,再去上高地地客中心。山岳道路的道地窄,中途「釜隧道」因是向道的,所以曾有等待了40分以上的情形。在期,窗子往外看,流在道路旁的河川,就如同摸著被硫染的岩石慢慢地流著。在那河川上掉落著色枝。
上高地有有名的地方,架在梓川上木的吊「河童」上所看得的美的山景色人印象深刻。岳(2455m)或穗高峰-西穗高岳(2909m)、前穗高岳(3090m)、穗高岳(3190m)、北穗高岳(3106m)眼前迫而。立著如茅一般尖的岳(3180m)。登山家被雄的山和流於山下的梓川的清溪的惑,上高地始爬山。1924年爬母峰(珠穆朗)成功的英人洛里官,面「什要爬山呢?」子的疑,他回答「正因山在那,所以才爬山」就如同那答案一,登山家爬著日本的阿卑斯山的各山。
「大正池」是在大正4年(1915年)因岳的火山爆,堵住梓川而形成的池子,火枯萎的落松或白的枝水而突出,只要被晨包,就被神秘的氛照。晴天,穗高峰水池的水面映照出,非常美。
走在梓川的池畔,就可以看到珍的化垂柳。垂柳的只能生在冷得害的地方,有水、枯乾的土地上。四季,子的色化,冬天,枝冰。以雪白的雪山背景,色的水晶,被日光照射地光。被叫化垂柳的理由是因,只有年垂柳的木的尖像是上了一。
一吸入的新山上的空,再步行2小的碎石道路,就到德露。在夏天因色、色或橘色的篷而得像是花圃一。早晨,前穗高岳只要光照射,露者就起床、用像是冷死人的冷水洗後,做早。然後始各自的一日活。
上高地帝店以山岳避暑店而有名。4月下旬到11月上旬,29000元到35000元左右就可住宿。在店休息室的「格林德瓦德」喝杯咖啡,休息一下。人想到德的山和色屋、和周的色木非常合,宛如成了一幅一。外的音就像是被吸入森林一般的安。我得在寂之中不何都能居住。
上高地之所以有人,不是只有因是阿卑斯山的出而已,而是因多人都市,如此美妙的自然,有著要再的渴望。上高地地方是,抓住人心不放的地方。
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翻日期:04年9月21日
料源:日本中解(大新局)第15
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