金国葬 「北」3代の正性がわれる
北朝の平で、17日に死去した金正日の国葬が行われた。
北朝 きたちょうせん 死去 しきょ そうしょき 国葬 こくそう
ひつぎをせたが市内を葬送行し、沿道で群が送った。哀悼期の最日となる29日の中央追悼大会で、の三男で後者の正恩氏を中心とした新体制の出を示するとみられる。
市内 しない 沿道 えんどう 群 ぐんしゅう 送る みおくる
哀悼 あいとう 最日 さいしゅうび 後者 ごけいしゃ 新体制 しんたいせい
示 こじ
の表以来、追悼行事がき、国メディアは大きくじている。3代世の正性を国内外に印象づけ、体制の束をる狙いがあるのだろう。
ふほう 追悼 ついとう 行事 ぎょうじ 国 こくえい
正性 せいとうせい 束 けっそく る はかる 狙い ねらい
一のきは、17年前、金日成主席が亡くなった後とよく似ている。だが、当50代だった2代目の正日氏が最高司令官、国防委の要にあったのに比べ、20代後半の正恩氏は、も肩も禄も不足している。
き うごき 似てる にてる 最高司令官 さいこうしれいかん
国防委 こくぼういいんちょう 要 ようしょく けいけん
肩き かたがき 禄 かんろく
この10日で「大な承者」「党と国家、の英明な者」「最高司令官」などと呼ばれ始め、威付けは急速にんだ。体制の中核を成すエリトは、力を承する「正恩」体制の正性立に命になっている。
大 いだい 承者 けいしょうしゃ 英明 えいめい 者 りょうどうしゃ
威付け けんいつけ 急速 きゅうそく 中核 ちゅうかく 命 けんめい
目を引くのは、部の大きな存在感である。主の正恩氏の後ろには将たちがぞろいし、後役と目されるの弟、成·国防委会副委も、初めて大将の服姿で登した。
部 ぐんぶ 主 そうしゅ ぞろい せいぞろい 大将 だいしょう
が、い言力を今後も保持することをうかがわせる。を最先する「先政治」は持され、核兵器や道ミサイルをする路がわる配はえない。
言力 はつげんりょく 保持 ほじ 最先 さいゆうせん 持 いじ
核兵器 かくへいき 道 だんどう ぞうきょう 配り きくばり
中国は、この「正恩」後体制を全力で支える姿だ。胡国家主席以下、最高部は全、北京の北朝大使をにれ、外省道官は正恩氏の中を迎すると述べた。
全力 ぜんりょく 支える ささえる 姿 しせい 最高部 さいこうかんぶ
全 ぜんいん ちょうもん れる おとずれる 外省 がいむしょう
中 ほうちゅう 述べる のべる
朝半情の安定を望む点は日本も同じだ。北朝の新指部に、拉致の解や核に真に取りまねば、再建に必要な支援は得られない、とさせることが肝心である。
朝半 ちょうせんはんとう 望む のぞむ 拉致 らち 核 かくはいき
させる にんしきさせる 肝心 かんじん
平では、商店などに砂糖やが供され、正恩氏の「恩情」がされている。しかし、特が居住する首都は恩に浴しても、地方では配が事上なくなって久しい。体制への忠心も薄まっているだろう。
商店 しょうてん 砂糖 さとう せんぎょ 供 きょうきゅう
恩情 おんじょう 特 とっけんそう 恩 おんけい 浴する よくする
配 はいきゅう 事 じじつ 久しい ひさしい 忠心 ちゅうせいしん
薄まる うすまる
が公した「人民生活の向上」をできなければ、後体制の正性は足元かららぐ。制社会は内部から崩れよう。北朝情は依然、流的だ。
公 こうやく 向上 こうじょう じつげん 足元 あしもと
らぐ ゆらぐ 崩れる くずれる 流 りゅうどう
日本は、朝半での不の事にえ、邦人保や民策などで、米国、国、さらに中国と携をめておく必要がある。
不 ふそく える そなえる 邦人 ほうじん 携 れんけい
2011年12月29日 新により
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